2020.03.16 Monday

アキレス腱は人生の分岐点

 

「どう? リハビリ、ちゃんとやってる?」

 今月初めの診察で、担当のS先生から訊かれた。

「はい、順調です。両足ならルルベもできます」

「ほんとだ。どれ、右足見せて。足首フレックスも伸展も十分だ。

じゃあ、次は4月の第一水曜に予約を入れておきます」

  先生はカルテに記入し始める。

「それで卒業ですね!」あたしが嬉々として言う。アキレス腱は

手術後六ヶ月が健康保険での診療期間なのだ。

「そうなるね」

「でも、先生、だいぶ力を入れて床を踏めるようになりましたが、

アキレス腱のところがぼっくり太くて硬くて、ルルベするとなん

だか竹篦(たけべら)が貼り付いてるみたいなんです……」

「それはしょうがないよ。手術したらそうなる。自然治癒なら切

れた腱が徐々に近づいて元通りだけど、ずっと固定してなくちゃ

ならないから、いまだに両松葉杖だよ。早く治したいから手術を

希望したでしょ。若いお嬢さんならストッキングでハイヒール履

いて後ろ足首を見せたいだろうけどね」

 どうせ、こちとら若いお嬢さんじゃないけど、老嬢だって後ろ

足首で他者の目を曳きたいと思っているかもでしょ? 

「でもこの前も日体大の女の子が断裂して来たけど、若いのに、

ハイヒールなんかいいから早く治して体操しないと、と言ってさ

っさと手術を受けたよ。竹篦は一年後にはなくなっている。じゃ

あ、来月ね。リハビリは続けてね」

 そう言って先生はファイルを看護師さんに渡し、あたしを整形

外科から送り出したのだった。

 

 リハビリ科に移動しながら考えたーー先生はああ言うけど、こ

の竹篦は本当に一年後には消えているのだろうか? もう踊らな

いのだし、ぼっくり太いアキレス腱は“過ぎ去りしバレエ人生”

の勲章と思い、普通に歩けさえすればそれでいいのだけど……。

 

 リハビリ科は外来と入院患者でいつも賑やかだ。老年女性が多い。

女性のほうが長生きして、そのかわり転倒もして腰骨や大腿骨を

折る割合が高いからだ。入院していたとき、隣のベッドだったO

さんなどは、一旦退院したものの、家事の最中にまたすぐ転んで

再入院。いまだにリハビリ科のお世話になっている。

 

「あぁ、すいません、先週無断で休みました。グレてました」

 担当の理学療法士のMさんにファイルを渡しながら言い訳をする。

先週は国内でもコロナウィルスの市中感染が増え、足の具合も思い

通りにはいかないので気が滅入り、通院リハビリをさぼってしまっ

たのだ。

「気持ちがすぐれなかったんですね、体じゃなくて」

 Mさんは回復を焦る患者の心理を理解して気を遣ってくれる。

「さあ、バーに掴まって両足つま先立ちしてみましょうか」

「手離しでもけっこう行けます」

「あら、ほんと、前よりすごく良くなってる!」

「でも右足だけでは難しくて……」

 言いつつあたしはバーを頼りに右足ルルベをする。キープは

んのちょっとだけ。

「あら、いいじゃないですか! そうやって筋肉が付いていけば

大丈夫ですよ」 

 次は廊下を二足歩行。膝のあいだにボールを挟んで内転筋強化。

両足首に各3キロの重りをつけて座ったまま膝伸ばし。斜め25

の板に乗ってアキレス腱伸ばしなど。全部お茶の子さいさいだ。

最後にMさんが恐ろしいことを口にした。

「早歩きはどうかしら?」

「やったことないですけど……あら、できた!」

「じゃあ、小走りは?」

「うーん、それは無理かも……あら、できます! 竹篦が邪魔で

右足が少しカックンな感じですけど」

 やってもいいと許可されるまで余計なことはしないでいたけど、

いつのまにかできるようになっているので自分でも驚いた。

「そのカックンは自分だけの感覚で、そのうち慣れますよ」

 

 この日、あたしの気持ちはかなり上げ上げで、気分よく家路に

ついたのは言うまでもない。

 

 バレエ友だちのSさんが言ってた。「怪我した箇所が治ったら、

そこは前より強くなってるのよ、大丈夫、また踊れるわよ」

 先週、退会届を出しに行ったスタジオの先生も励ましてくれた。

「そんなに早く杖なしで歩けるようになったんだから、あれもこ

れもできるようになると、踊れるかも、と自信が出てくるよ」

 エンジェルRで久保綋一先生のクラスが一緒だった、いまはご

主人の赴任先のカリフォルニアで暮らし、現地のスタジオで切磋

琢磨しているTさんは、あたしのブログを読んで書いてきた。

「そんなことになってたなんて! でもね、スティーブン・マッ

クレーも頑張ってるよ、また踊るために」

 

 スティーブンというのは、英国ロイヤル・バレエ団のプリンシ

パルで、日本でも人気の大スターだ。昨年10月、『マノン』の本

番中にアキレス腱断裂をして舞台で崩れ落ちた。袖に運び込まれ、

激痛と悔しさでだろう、大きな声で泣き叫んでいたという。気の

毒だった。手術後、Instagramでリハビリ生活を写真や動画入り

でアップし始めた。完全復帰を目指し、前向きに励んでいる。

 

 そんなスティーブンを例えに出して励ましてくれるバレ友も何

だけど、心配だなぁ、彼も竹篦に悩んでいるだろうか、違和感は

いだろうか。とにもかくにも、また舞台ですごいジャンプやピ

エットを披露してくれることを祈っている。

 

 自分が切ってからというもの、アキレス腱断裂をした人のニュ

ースを気にするようになった。昨年6月にお笑いコンビ・フォー

リンラブのバービーさんが撮影中に踊っていてカツン!今年2月、

東京五輪の希望の星、体操の寺本明日香さんが床の蹴りでコツン! 

お二人とも早々に手術をした。

 

 さて、今週も軽井沢に来ている。日曜の朝、窓外は雪景色で新鮮

な気分。でもお化粧程度で、次第に陽が射して、夕方には溶けていた。

 

 

 今年はなるべく軽井沢で過ごし、仕事の合間にガーデニングをし

ようと考えている。家屋の前と後ろに土地があり、雑草が生い茂る

ばかりなので、以前からやりたかったイングリッシュ・ガーデンを

始めようと思うのだ。

 

 

 後ろの土地は斜面なので、安全に降りて行くために階段を作らな

ればならない。これは業者にやってもらう。あたしは草むしり、

整地、花畑と樹木部分の設計図を練り、それから土を掘り起こして

苗植え、種まきだ。10年計画でゆっくりやっていこう。現役時代、

ネイチャーマガジン「SINRA」でガーデニングの特集を数回担当し

たので、ノウハウは持っている。

 

 

 イングリッシュ・ガーデンがバレエに代わり、これから死に向か

って生きるあたしの生き甲斐になるのだと思う。夏涼しい軽井沢は

英国の気候に似ているのでイングリッシュ・ガーデンに向いている。

でも、果たして、完成するだろうか? これまでのあたしは、すべ

てについて“未完の女王”なんだけど。 


2020.02.24 Monday

半年ぶりの軽井沢&『ドラキュラ』平野亮一さん

 

アキレス断裂手術から3ヵ月半が過ぎた。

自宅マンションと表参道ステーションの行き帰り、

いつも足を止め眺める近所の紅梅白梅が花開いた。

 

リハビリは順調で、地下鉄の外出にも慣れてきた。

傷口は地獄の激痛 ⇒ 神経に触る引き攣れ痛 ⇒

不快な痒痛を経て、愛おしい相棒に成り変わっている。

目下、爪先立ちの練習に余念がない。

右脚筋肉が元通りじゃないのでこれは苦しい。

左は片脚でOKなのに、右では少しも立てないのだ。

もうしばらくバーに掴まって両脚で頑張るしかない。

踊れないあたしの脚はマッチ棒みたいに頼りなく細い。

 

今週は三連休。ああだのこうだの思い悩んだ末、

今後の自分が見えてきて、心も前向きになっているので、

半年ぶりに軽井沢の家にやってきた。

ベランダから眺める山並みや木々は以前と同じ。

断裂前と後のあたしはすごく変わったというのに、ね。

 

 

23日、チャーチストリートのカフェでHさんとランチ。

Hさんは軽井沢でイベントのプロデュースをしている。

あたしの怪我にはびっくりしたというが、

「忙し過ぎたのよ。ゆっくりなさいというお告げよ」

根掘り葉掘り訊かずにわざとさらりと言い除けてくれた。

 

互いの近況報告を終えると、共通の話題、

すなわちバレエについての情報交換になった。

Hさんはまた8月に大賀ホールでの企画を進めているので

もっぱらその話。あたしは先週末に観たNBAバレエ団『ホラーナイト』

について興奮しながら説明し、8月の『ドラキュラ』全幕公演の

フライヤーを渡し、「もう、絶対お薦めだから!」とPR

そしたらHさん、最近のNBA躍進については耳にしているそうで、

「もちろん行くわ!」と手帳に日時を記入していた。

 

ドラキュラ』にタイトルロールでゲスト出演する

英国ロイヤル・バレエ団プリンシパルの

平野亮一さんとは『ホラーナイト』のときに

ファンクラブプレミア会員のための特別トークで

直にお話を伺えたので、その魅力についても

Hさんに大いにアピールしておいた。

 

平野さんは身長185センチの偉丈夫で、

黒澤映画にもぴったりな感じの風貌と風格があり、

それでいて気さくな性格があたし好みだ。

 

人間の血が付いた我が手を高く掲げて見入りながら

ドラキュラが大きく身を反らし、掌を口元に運ぶ不思議な仕草が

なんとも冷酷で気品のある自己陶酔に満ち満ちて、

「あのシーンは大のお気に入りです!」と伝えると、

「あれは、好きなものを頂く前に、天を仰いで思いを巡らし、

ゆっくりと嗅覚、味覚へと官能を働かせていくのです。

ぼくは人間の行動・心理パターンを研究して、それを取り入れて、

ぼくなりの感情表現で踊ります」とプリンシパルは流石の自己分析。

 

そんな芸術的ダンサーの足元に目をやると

スニーカーの色づかいが奇妙に独特なワンポイント。

それがシンプルなTシャツとコーデしていることに気付いた。

何気なく個性的に自己主張するお人柄にまたまた好感度アップ。

8月『ドラキュラ』が待ち遠しい。

 

身長185センチの平野さんとその天才的おみ足のスニーカー。

王子様を踊らせるとこんなに素晴らしい滞空ハイジャンプ(写真提供:NBAバレエ団)

 

チケットは既に発売開始中です。 

ドラキュラ』@新国立劇場・オペラパレス

8.1(土)13:00〜平野亮一Dracula18:30〜宝満直也Dracula

8.2(日)14:00〜平野亮一Dracula

 

http://www.nbaballet.org/   

 

 


2020.02.13 Thursday

鳥肌立つ『ホラーナイト』:NBAバレエ団

 

治療法が未知の新型肺炎を起こすコロナウィルスが

日本にも蔓延する危機が高まりつつある今日この頃、

都内某所でNBAバレエ団2月公演『ホラーナイト』の

記者会見が行われた。新国立劇場・中ホールでの

本番を15日&16日に控えている今回の公演は、

ドラキュラ」と「狼男」の二本立てになっている。

 

右から平野亮一、久保綋一、宝満直也の面々。ダンサーたちの立ち姿は絵になっている。

 

NBAはマイケル・ピンク振付『ドラキュラ』全幕を

2014年、大貫勇輔をドラキュラ役に迎えて上演し、

日本ではこれまで観ることのできなかった、

大人にも見応えのあるバレエとして大いに反響を呼んだ。

今回2月の「ドラキュラ」は、8月公演が決定している

その全幕作品から第一幕をプレビュー的に

観賞していただく趣向なのだという。

 

 

しかし単なるプレビューではないところがNBAらしい。

なんとドラキュラ役に、英国ロイヤル・バレエ団の

プリンシパル、平野亮一を迎えるという贅沢さ。

むろんこれは8月にも平野がドラキュラを演じる

ということのパブリシティも兼ねている。

平野ドラキュラが、真夏の8月にもロンドンから飛来し、

血の滴るような深紅の長い衣装を翻し、蛇のように這い纏わり、

艶めかしく跳び踊り回り、女男の区別なくその生き血を

吸いながら殺していくーーなんと恐ろしくも美しい情景。

 

『ドラキュラ』はエロスの恍惚に震える戦慄のバレエなのだ。

加えて8月公演には、やはり英国ロイヤル・バレエ団の

プリンシパルで、平野がよく一緒に組む美貌のサラ・ラムも

ゲスト出演する。こうなったらチケットは完売必至だろう。

 

平野は王子様を始めとして様々な役を踊る大スターだが、

近年の『フランケンシュタイン』でタイトルロール

ともいうべきクリーチャー役で存在感を示し、

演技の幅を広げている。クリーチャーもドラキュラも

いわば“怪物”だが、演じる側として双方に違いは

あるかと問われると、「クリーチャーは外見からして

醜く恐ろしい存在なので、それに見合う動きが必要です。

その点、ドラキュラ伯爵は有り様もピンク氏の振付も

とても自然体で、ぼくの踊りで吸血鬼の

ホラーな雰囲気を醸し出していけたらと思います」

とのご託宣。ダンサー冥利に尽きる役柄のようだ。

 

そしてもうひとつの演目「狼男」。こちらは

NBAの振付家兼ソリスト、宝満直也による新作だ。

手がけることになったのは、久保・芸術監督から

「ドラキュラとの抱き合わせで舞台に乗せるから、

狼男をテーマに振付をしてほしい。内容も直也に任せる」

と単刀直入にして単純明快な依頼があったからなのだという。

 

 

しかし言うは易く行うは難し。

「どちらも米国で映画になったモンスターで、

イメージが被ります。ピンクさんの作品は物語バレエで

ストーリー性があり、満月や狼の遠吠えも出てくる。

同じことはしたくない」と直也は大いに悩んだ。

「だから反対のことをしました。ストーリー性を排除し、

人間でもない、獣でもない、曖昧な悲しい存在、

そういう者たちの生きるモチベーションは何なのか」

その思いを探りながらダンサーに動いてもらい、

彼らの動きにインスパイアされながら作業を進めたという。

「男と女、男と男、女と女がいて、誰が狼なのか、

誰もが狼かもしれず、誰に噛み殺されるかわからない、

自分が誰かを噛み殺すかもしれない。そんな状況で

ぼくだったらどうするか。自問自答の作業でした」

 

とても興味深い! 宝満直也の「狼男」は哲学的、

存在論的、実存主義的。究極の「僕って何?」なのだ。

奈落の底のレゾンデタール。絶対ホラーの世界。

それが、難解な文章ではなく、バレエで表現される。

心の臓にガツンと来て、観客も我が身を省みるだろう。

 

考えてみるといい。今日のコロナウィルス騒動を。

隣の人がウィルスを持っているかもしれない、

移されるかもしれない、いや、自分が移すかもしれない──

今、我々はパンデミック・ホラーの世界に身を置いている。

NBAの『ホラーナイト』が実にタイムリーに思えてくる。

 

書き忘れてはいけない。直也はこの2月そして8月も、

平野とダブルキャストで舞台に立つ。繊細な風貌の本人は、

平野ドラキュラとは違う吸血鬼になることを自認している。

「平野さんは体が大きく男性的な魅力のあるダンサー。

ぼくの持ち味はどちらかというと中性的ですから」

いやはや、男性的OK、中性的OK

どちらのドラキュラも観客を魅了すること間違いなし。

NBAはうまいキャスティングをしたものだ。こうなったら、

どちらのドラキュラも観たくなるではないか。

 

ホラーナイト』@新国立劇場・中劇場

2.15(土)14:00〜平野Dracula18:00〜宝満Dracula

2.16(日)14:00〜平野Dracula

 

ドラキュラ』@新国立劇場・オペラパレス

8.1(土)13:00〜平野Dracula18:30〜宝満Dracula

8.2(日)14:00〜平野Dracula

 

http://www.nbaballet.org/   

 

*敬称は省略させていただきました*        

 

 

 

 



calendar

S M T W T F S
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
27282930   
<< September 2020 >>

profile

(株)チャイコのHP

(株)チャイコのHP

このブログについて

出版社「チャイコ」専属エディターの鵺子が、世の中の出来事、仕事、身辺種々雑多、趣味のバレエなどについて書いています。
ページ上部の「鵺子草紙」をクリックすると、どこからでもトップページに戻ることができます。

チャイコ新刊本


セックスとドラッグ渦巻く
バレエ界を潜り抜け、
普通であることの幸せを知った
主人公ジョアンが新たな生き方を
見いだす激情と愛情の物語。
定価:1,800円(税別)
公式ショップにて発売中!

チャイコ既刊本

日本バレエを変える
─コーイチ・クボの挑戦─

NYタイムズ紙から絶賛され、
アメリカで20年踊り続けた
天才ダンサー・久保綋一の
新たな挑戦とは?
前代未聞の半生記(DVD付き)
公式ショップにて発売中!

悪の道化師
赤毛のアンセム・シリーズ

アンセムの物語、後編!
地面が崩れ、摩天楼が沈む!
不気味なテロ集団から
「スーパーバレリーナ」は
シティを救えるのか?
公式ショップにて発売中!

秘密の心臓
赤毛のアンセム・シリーズ

一度死に、鼓動600回/分の
心臓でよみがえった
バレリーナが空を飛び、
弾丸のように走り、悪と闘う!
公式ショップにて発売中!

ミスター・Bの女神
バランシン、最後の妻の告白

神と謳われた天才振付家
その神の創造力を喚起した女神
これは二人の真実の愛の物語
日本図書館協会選定図書
公式ショップにて発売中!

selected entries

categories

archives

recent comment

  • 麻実れい「夜への長い旅路」:ヌエコの退屈な日々
    Akiko
  • 本牧GC、イリス、鈴木いづみと阿部薫
    鵺子
  • 本牧GC、イリス、鈴木いづみと阿部薫
    no name
  • アキレス腱は人生の分岐点
    鵺子
  • アキレス腱は人生の分岐点
    funabashi
  • 踊れない令和2年の開幕
    鵺子
  • 踊れない令和2年の開幕
    船橋
  • 麻実れい(ターコ)をCS2で観る
    岡地慶直
  • 麻実れい(ターコ)さんのお茶会
    岡地慶直
  • 熊川哲也の「第九」にブラボー!
    鵺子

search this site.

PR

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM