2020.08.18 Tuesday

森の生活: 気ままにのんびり仕事して

 

ゴールデンウィークから軽井沢で暮らしている。

所要があるときには一週間だけ東京の南青山にステイして、

歯の定期健診、支払などと忙しく動き回っている。

 

2ヵ月前の6月には世田谷の経堂に出かけ、

いつもの美容院「VITRINEでブリーチしてもらい、

プラチナシルバーの髪になった。

アキレス腱リハビリ生活中とコロナ・ステイホーム中、

染めに行けなかったので白がとても多いのが明白で、

全部抜いちゃおう、とヘアアーチストと話し合って決断した。

 40代から染めているのでダメージが心配だったが

自粛生活で美容院に行けないあいだに

コンディション良く健康な状態になっていたので、

このタイミングで一気に抜いてもらった。

 

以前ブラウンに染めていた部分はブリーチしても時間が経つと

ブロンド色が浮いてくるが、その感じは嫌いではない。

7月には調整のためにシルバーアッシュをかけてもらい、

8月にはシルバーに青を加えてもらった。

ちょうど買い替えたばかりのスマホがミントカラーなので、

9月はお揃いでミントを入れてみようと担当者と客で盛り上がった。

コロナ、コロナでつまらない世の中だから、

カメレオンみたいに毛色を変えて楽しむつもり。

 

9月のブログではご覧のシルバーヘアーにミントが入っているはず。

マイスマホの写真を同じマイスマホでは撮れないのでSONYの広告のを借用。

 

7月はずっと雨で、軽井沢もじめじめしていたが、

8月に入ってスコーンと抜けた晴れの日が続いている。

空気が乾いて爽やかで、絵に描いたような青空に白い雲。

大好きなカリフォルニアのインディアンサマーみたいだ。

我が家の屋根の上で運動会をするニホンザルの家族が

バルコニーまで降りて来ることもある。

好奇心の強いのは窓辺からこちらを覗いたりする。

 

まだお目にかかったことはないが、ここの山にはクマもいる。

ちょうど吉村昭の『羆嵐(くまあらし)』を読んでいて、

明治時代に東北から北海道に入植した開拓民たちが

巨大な羆(ひぐま)の餌食になるリアルな描写がでてくる。

ヒグマは人骨をバリバリ噛み砕きながら人肉を食べる。

妊婦の腹の胎児も掻き出して食べてしまう。

本州である軽井沢の山に生息するツキノワグマは

北海道のヒグマより小さいが、山に入る時は

クマよけ鈴をもつようにと警告されている。

 

 

先週金曜は、久しぶりに旧軽井沢銀座を歩いた。

コロナ以前よりは観光客が少ない。当然だ。

ジョン・レノンがヨーコ夫人と軽井沢を訪れたときに

自転車でパンを買いに来ていた「フランスベーカリー」に入り、

買物のあと、2階のカフェ「ダ・ヴィンチ」でかき氷を食べた。

浅間山の湧き水で作った天然水の氷で、

キーンと冷たく、ミネラル豊富な味がして、格別だ。

森の生活、軽井沢の夏、ずっとこんな風に平穏であって欲しい。

 

「フランスベーカリー」店内にはジョンが自転車に乗っている写真が飾ってあるが、

撮影禁止となっているのは残念。かき氷は宇治金時。向こうに見えるのは

レトロな木造の「軽井沢観光会館」。

 

 

 


2020.05.17 Sunday

コロナと仲良くおとなしく

 

コロナウィルスが地球上から消えることはない。

収束しても、ワクチンや治療薬ができても

コロナは人間とともにこの惑星に有り続ける。

人間がおとなしいとコロナは鎮まっている。

人間が荒ぶるとコロナは暴れ出す。

あたしは緊急事態宣言が解除されても、

コロナと仲良くしたいからステイホームを続ける。

 

必要緊急であれば外出はする。そんなとき、

駅への途中の道端で草木が生き生きしていると心が躍る。

早春に紅白の花を付けていた梅の木は緑葉を揺らし、

奥を覗くと愛らしい実が恥ずかしそうに隠れている。

我が家のベランダでも花が咲いている。

2016年4月21日に亡くなったプリンスにちなんで

「プリンス」と名付けた紫クレマチス。

購入して15年になる白や茶のクリスマスローズたち。

 

 

コロナは人間の思考と生活パターンを変える。

あたしの場合はそれ以前に足の大怪我で踊れなくなり、

崖から垂直落下するように人生の意味が激変したので、

コロナによるショックはさほど大きくない。

半年前の手術以来、自宅でリハビリ生活なのだから、

これからもその延長線上で生きることにする。

 

最近、YouTubeでよく音楽を聴く。

マスクだの消毒だのと制約が多くなってきたときは

いらいらして尾崎豊をガンガン聴きまくった。

いまは森田童子を朝から晩まで流している(こちら→)。

優しく、静かに、物悲しく生と死を見つめ、

囁くように弱弱しく唄う童子の声と詩が、

コロナウィルスを鎮めてくれないだろうか。

 

YouTubeサーフィンをしていて気付いたのだが、

森田童子は2018年4月24日に亡くなっていた。

人知れず、ひっそりと──。

ひと月以上が過ぎ、6月1日発行のJASRAC会報に

訃報が掲載されて世間の知るところになったという。

1973年のライブハウスデビューから引退の1983年まで

サングラスと顔を包むようなカーリーヘアーで貫き、

素顔を見せなかったシンガーソングライター、享年65歳。

 

三回忌といえば、歌手で俳優だった西城秀樹もそう。

昨日5月16日が命日で享年63歳。

幾度も脳梗塞で倒れ、厳しいリハビリを重ねては

ステージで歌い続けた、不世出のスーパースター。

容姿と歌唱力を合わせ持った天性のエンタテイナーだ。

 

自分を隠し通した童子vs.自分をさらけ出した秀樹。

両者を聴くことであたしの心はバランスがとれている。

 

森田童子も西城秀樹も、ファンが待ち望んでいた

三回忌のイベントが延期になってしまった。ちなみに、

あたしがチケット購入済みのKバレエ「海賊」も延期、

NBAバレエ「白鳥の湖」とアメリカNYCB

7年ぶりの来日公演は中止になった。

 

 

 

緊急事態宣言が解除になっても、

大勢の人間が集まる会場に足を運ぶのはためらわれる。

コロナで迎える新しい世界。今後の公演、ライブ、

イベントのかたちはどうなっていくのだろう。

 

 

 


2020.04.05 Sunday

昔の日本バレエに思いを馳せて

 

4月1日はあいにくの天気で、窓ガラス越しに観る駒沢病院の庭の

桜も雨に打たれてピンク色に煙っていた。

 

 

この日の診察を最後に、あたしは通院を卒業した。整形外科とリハ

ビリ科には大変にお世話になった。今後は自己責任で、より良くな

るように体を動かし続けて行く。右足が元の感覚を取り戻すのにあ

と半年はかかるだろう。「踊れるようになるよ」と主治医のS先生が

おっしゃった。「今までは爪先で立つ靴を履いてたんでしょ? あ

れだって、椅子に坐って踵を上げ下げするのから始めてみれば?」

と担当理学療法士のTさんが励ましてくださった。うーん、それは

どうなんだろう。

 

先月のいつだったかの通院リハビリで、元バレリーナの方にお会い

した。仮にFさんとしておこう。80を超えているとおっしゃってい

た。長年バレエをやっていた人によくある、無駄肉が一切なく、薄

い筋肉が骨に張り付いて、きりりと痩せた体つきをしていた。あた

しが長椅子に座り、両足首に錘をつけて脚の上げ下げをしている横

で、Fさんは上体を前に曲げて両手指先を床に近づけながら、ご自分

の理学療法士さんと話していた。「バレエはやっぱり『ジゼル』が

一番ね。谷桃子さんのジゼルを観て、すぐに谷バレエ団に入ったのよ」

 

それを耳にしてFさんと話がしたくなり、あたしはずっとタイミング

をうかがっていた。ちょうど二人揃ってその日のメニューを終え、

リハビリ室の出口で一緒になったので、声をかけてみた。「バレエ

をなさってたのですか? あたしもです」

 

Fに下り、会計に呼ばれるまで待合の椅子に坐ってお喋りを続けた。

「あたしはアキレス腱断裂です。おさらい会で踊るヴァリエーション

のリハーサルでやっちゃいました。お宅様は?」「私はとっくの昔に

バレエは辞めて、フラメンコなんだけど、レッスンでダーッと前滑り

に転んで腕を痛めたの。診察の結果、足の土踏まずが落ちていると言

われた。それで転びやすくなってたのよ。あなたはアキレス腱? コ

バチャンと同じね。コバチャンは本番中に切って、手術したのよ。で

もあの人、一ヵ月後にはもう踊ってたわよ」

 

コバチャンというのは、谷桃子バレエ団で桃子先生(19212015)の

パートナーをつとめ、1970年にご自身主宰のバレエ団を設立した小林

恭氏(2014年没、享年83歳)のことだ。NBAバレエ団芸術監督・久保

綋一氏の父上で、昔の日本のバレエ界をよく知る久保栄治氏が、小林

先生は本当に天才でした。男性ダンサーにとって、真横になって2回転

する小林先生のザンデール(名付けて「コバQ」)は憧れで、私も練習

しましたが、肩を脱臼してしまいました」と語っている。優れた演出家

でもあり、既存のバレエ作品を独自の解釈を入れて深いドラマ性のある

作品に仕立てる才能のある人だったとの定評がある。

 

Fさんは少女の頃、戦後間もない1946年、帝国劇場で初めて日本で全幕

上演された『白鳥の湖』を観て乙女心を揺さぶられ、ジークフリードを

踊った小牧正英氏(19112006)のバレエ研修所に入ったが、谷桃子さ

の『ジゼル』を観て感動して谷桃子バレエ団に入団したという。そこ

コバチャンもいたのだった。

 

Fさんが小牧正英氏までご存じだったというのは晴天の霹靂だった。あ

たしの研究課題の一人なのだ。小牧氏は戦前に大陸に渡り、上海巡業に

来ていたバレエ・リュスに入団して踊り続けた人で、当時、真の意味で

西洋バレエを身に付け理解していた最初の日本人だったのだ。『白鳥の

湖』上演を実現させたのも小牧氏だった。

 

「あの時のオデット/オディールは貝谷八百子さん(19211991)でした

ね」とあたしが訊くと、「そうよ。あら、そういえば貝谷さんもアキレ

ス腱を切ったのよ。それから踊らなくなったわね、トウシューズを履け

ないから。男性はトウシューズ関係ないから復帰しやすいわね」とFさ

んが言った。ほらね、やっぱり、アキレス腱断裂するとトウシューズは

難しいのだ。

 

貝谷八百子さんは日本人離れした肢体の持ち主で、写真で観るその姿は

とても舞台映えする。その貝谷さんもアキレス腱を切っていたのか……。

牧阿佐美先生も20代で切った。久保綋一氏の母上も切った。踊る人は確

率が高い。でも切らない人もいる。まぁ、その人の運命だ。

 

Fさんともっとお話ししたかったので「お茶でもいたしませんか?」と

お誘いしたが、「もう今日は疲れたわ。お茶はなし」と断られてしまっ

た。以来、リハビリでお会いすることがなく、あたしは通院を終えた。

残念だ。小牧正英氏のこと、22日間公演を続けて空前の観客動員数を記

録した帝劇の『白鳥の湖』のこと、もっと伺いたかった。もうお会いす

ることはないだろう。

 

いつの日か、Fさんの土踏まずは上がるだろうか? あたしの右足は再

びトウシューズで立つことができるようになるだろうか?

 

 


2020.03.16 Monday

アキレス腱は人生の分岐点

 

「どう? リハビリ、ちゃんとやってる?」

 今月初めの診察で、担当のS先生から訊かれた。

「はい、順調です。両足ならルルベもできます」

「ほんとだ。どれ、右足見せて。足首フレックスも伸展も十分だ。

じゃあ、次は4月の第一水曜に予約を入れておきます」

  先生はカルテに記入し始める。

「それで卒業ですね!」あたしが嬉々として言う。アキレス腱は

手術後六ヶ月が健康保険での診療期間なのだ。

「そうなるね」

「でも、先生、だいぶ力を入れて床を踏めるようになりましたが、

アキレス腱のところがぼっくり太くて硬くて、ルルベするとなん

だか竹篦(たけべら)が貼り付いてるみたいなんです……」

「それはしょうがないよ。手術したらそうなる。自然治癒なら切

れた腱が徐々に近づいて元通りだけど、ずっと固定してなくちゃ

ならないから、いまだに両松葉杖だよ。早く治したいから手術を

希望したでしょ。若いお嬢さんならストッキングでハイヒール履

いて後ろ足首を見せたいだろうけどね」

 どうせ、こちとら若いお嬢さんじゃないけど、老嬢だって後ろ

足首で他者の目を曳きたいと思っているかもでしょ? 

「でもこの前も日体大の女の子が断裂して来たけど、若いのに、

ハイヒールなんかいいから早く治して体操しないと、と言ってさ

っさと手術を受けたよ。竹篦は一年後にはなくなっている。じゃ

あ、来月ね。リハビリは続けてね」

 そう言って先生はファイルを看護師さんに渡し、あたしを整形

外科から送り出したのだった。

 

 リハビリ科に移動しながら考えたーー先生はああ言うけど、こ

の竹篦は本当に一年後には消えているのだろうか? もう踊らな

いのだし、ぼっくり太いアキレス腱は“過ぎ去りしバレエ人生”

の勲章と思い、普通に歩けさえすればそれでいいのだけど……。

 

 リハビリ科は外来と入院患者でいつも賑やかだ。老年女性が多い。

女性のほうが長生きして、そのかわり転倒もして腰骨や大腿骨を

折る割合が高いからだ。入院していたとき、隣のベッドだったO

さんなどは、一旦退院したものの、家事の最中にまたすぐ転んで

再入院。いまだにリハビリ科のお世話になっている。

 

「あぁ、すいません、先週無断で休みました。グレてました」

 担当の理学療法士のMさんにファイルを渡しながら言い訳をする。

先週は国内でもコロナウィルスの市中感染が増え、足の具合も思い

通りにはいかないので気が滅入り、通院リハビリをさぼってしまっ

たのだ。

「気持ちがすぐれなかったんですね、体じゃなくて」

 Mさんは回復を焦る患者の心理を理解して気を遣ってくれる。

「さあ、バーに掴まって両足つま先立ちしてみましょうか」

「手離しでもけっこう行けます」

「あら、ほんと、前よりすごく良くなってる!」

「でも右足だけでは難しくて……」

 言いつつあたしはバーを頼りに右足ルルベをする。キープは

んのちょっとだけ。

「あら、いいじゃないですか! そうやって筋肉が付いていけば

大丈夫ですよ」 

 次は廊下を二足歩行。膝のあいだにボールを挟んで内転筋強化。

両足首に各3キロの重りをつけて座ったまま膝伸ばし。斜め25

の板に乗ってアキレス腱伸ばしなど。全部お茶の子さいさいだ。

最後にMさんが恐ろしいことを口にした。

「早歩きはどうかしら?」

「やったことないですけど……あら、できた!」

「じゃあ、小走りは?」

「うーん、それは無理かも……あら、できます! 竹篦が邪魔で

右足が少しカックンな感じですけど」

 やってもいいと許可されるまで余計なことはしないでいたけど、

いつのまにかできるようになっているので自分でも驚いた。

「そのカックンは自分だけの感覚で、そのうち慣れますよ」

 

 この日、あたしの気持ちはかなり上げ上げで、気分よく家路に

ついたのは言うまでもない。

 

 バレエ友だちのSさんが言ってた。「怪我した箇所が治ったら、

そこは前より強くなってるのよ、大丈夫、また踊れるわよ」

 先週、退会届を出しに行ったスタジオの先生も励ましてくれた。

「そんなに早く杖なしで歩けるようになったんだから、あれもこ

れもできるようになると、踊れるかも、と自信が出てくるよ」

 エンジェルRで久保綋一先生のクラスが一緒だった、いまはご

主人の赴任先のカリフォルニアで暮らし、現地のスタジオで切磋

琢磨しているTさんは、あたしのブログを読んで書いてきた。

「そんなことになってたなんて! でもね、スティーブン・マッ

クレーも頑張ってるよ、また踊るために」

 

 スティーブンというのは、英国ロイヤル・バレエ団のプリンシ

パルで、日本でも人気の大スターだ。昨年10月、『マノン』の本

番中にアキレス腱断裂をして舞台で崩れ落ちた。袖に運び込まれ、

激痛と悔しさでだろう、大きな声で泣き叫んでいたという。気の

毒だった。手術後、Instagramでリハビリ生活を写真や動画入り

でアップし始めた。完全復帰を目指し、前向きに励んでいる。

 

 そんなスティーブンを例えに出して励ましてくれるバレ友も何

だけど、心配だなぁ、彼も竹篦に悩んでいるだろうか、違和感は

いだろうか。とにもかくにも、また舞台ですごいジャンプやピ

エットを披露してくれることを祈っている。

 

 自分が切ってからというもの、アキレス腱断裂をした人のニュ

ースを気にするようになった。昨年6月にお笑いコンビ・フォー

リンラブのバービーさんが撮影中に踊っていてカツン!今年2月、

東京五輪の希望の星、体操の寺本明日香さんが床の蹴りでコツン! 

お二人とも早々に手術をした。

 

 さて、今週も軽井沢に来ている。日曜の朝、窓外は雪景色で新鮮

な気分。でもお化粧程度で、次第に陽が射して、夕方には溶けていた。

 

 

 今年はなるべく軽井沢で過ごし、仕事の合間にガーデニングをし

ようと考えている。家屋の前と後ろに土地があり、雑草が生い茂る

ばかりなので、以前からやりたかったイングリッシュ・ガーデンを

始めようと思うのだ。

 

 

 後ろの土地は斜面なので、安全に降りて行くために階段を作らな

ればならない。これは業者にやってもらう。あたしは草むしり、

整地、花畑と樹木部分の設計図を練り、それから土を掘り起こして

苗植え、種まきだ。10年計画でゆっくりやっていこう。現役時代、

ネイチャーマガジン「SINRA」でガーデニングの特集を数回担当し

たので、ノウハウは持っている。

 

 

 イングリッシュ・ガーデンがバレエに代わり、これから死に向か

って生きるあたしの生き甲斐になるのだと思う。夏涼しい軽井沢は

英国の気候に似ているのでイングリッシュ・ガーデンに向いている。

でも、果たして、完成するだろうか? これまでのあたしは、すべ

てについて“未完の女王”なんだけど。 


2020.02.01 Saturday

新しいマイセルフのためのヘアスタイル

 

もう啓蟄なのだ。さすがのあたしも気持ちが蠢き始めている。

 

退院して2か月半近く、週一の通院リハビリを除いては

家に籠ってのリハビリ生活を決め込んでいた。

仰向けに寝転んでの右足首フレックス、脚上げ、腹筋運動。

うつ伏せで後ろ脚上げ(美尻効果あり!)、背反りなどを小一時間。

あとは西城秀樹さんの昔のTVドラマの録画を観たり、CDを聴いたり、

FBtwitterで“秀友”さんたちのアップをチェックしたり、

読書をしたりして、合間合間にちょこちょこっと形だけの家事をして、

飽きたらまたリハビリをする。楽ちんだから一生こんなでもいいや、

なんて世をすねてみたりもする。

 

でも1月30日には、すでに高額チケット購入済みだったので、

Kバレエの「白鳥の湖」をオ─チャ─ドホ─ルまで観に出かけた。

渋谷の雑踏のなかをアキレス腱断裂が完治してないこの足で

ペンギンみたいに進んでいくのは怖いけど、これもリハビリの一環だ

終演後、中村祥子さんのK最後の舞台になる「海賊」のチケットを買い、

いつものLes Deux Magotsでお茶をしたが、これがなんと3か月ぶりの

お外カフェで新鮮で、気持ちが前向きにほころんだのだった。

 

左の写真:自宅マンション裏のベニバナエゴノキは春が来たと思ってか、3輪だけほころんでいた。

右の写真:Les Deux Magotsのチョコレートケーキ。コーヒーはお代わりし放題だ。

 

テンション揚げあげの勢いで、2日後には伸びた髪をどうにかすべく、

経堂にある行きつけのヘアサロン「Vitrine」(こちら→)へ出かけた。

真面目にリハビリに励んでいるのに、どうも右足首に力が入らず、

モヤシどころかモヤシのヒゲみたいに頼りない我が右脚を鑑みて、

もうバレエはやめる! と心に決めたのだから、髪はばっさりカット、

カラ─はプラチナアッシュのダークブラウンに激しく変えてもらった。

スタイルはア・ラ70年代なウルフカットにしたくて、

ワイルドなジム・モリソンとロンゲの頃の秀樹さんの写真を持参し、

「こんなにしてください。今後のあたしはワイルドに生きるんです!」

と担当デザイナ─・店長の片桐さんに宣言したのだった。

 

左上が以前のヘアスタイル。右下がジム・モリコ&西城ヒデコ風。

 

かくしてあたしは潔くバレエに決別することになったのであります。

乞うご期待!

 

 

 


2020.01.06 Monday

踊れない令和2年の開幕

 

新年早々、目出度くない話をする。

あたしは昨年の文化の日にアキレス腱断裂をした。

あるスタジオのおさらい会のリハーサル中のハプニングだった。

 

特別な動きをしていたわけじゃない。

ふつうにポアントでルルベをして、

後ろにアラベスクしていた動脚を床におろした瞬間、

「カーン!」という耳慣れない音が聞こえ、なんだろう?

と不思議に思うやいなや、へなへなと倒れ込んでしまった。

 

アキレス腱は人体で一番太く強い腱なのに、

断裂は青天の霹靂的シチュエーションで起こる。

十分なストレッチをしたダンサーがプリエをしたら「コーン!」。

主婦が掃除機をかけようと足を踏み出した瞬間「ガッン!」。

サラリーマンのお父さんが子どもの運動会で

張り切って綱引きをしていたら「ゴン!」。

 

すぐに氷で冷やし、応急固定処置をしてもらい、

救急車で病院に運ばれ、非常勤医に診てもらったら、

「断裂してますね。明後日、常勤医の診察を受けてください」

といとも簡単に言われ、幸いスタジオの先生が車を

だしてくださったので、その夜は無事、帰宅できたのだった。

 

5日、診察の先生からは「早く手術しましょう」とのご託宣で、

7日に入院→即手術、翌日から激痛リハビリ開始、

新天皇・皇后の祝賀パレードは病室のテレビで視聴、

10日後に退院、以来、自宅でリハビリ生活を送っている。

全身麻酔で足首の後ろを切開し、真っ二つに切れて上下に離れて

宙ぶらりんの腱を合わせて縫合したあとは、

地獄の痛みだろうがなんだろうが、

すぐに足首をフレックスにする運動を始めないと

周囲の組織が固まってしまう。

「先生、激痛です。こんなに曲げたらまた切れてしまいませんか?」

「そんな簡単に切れるような手術はしてないよ。

ほらほら、やらないと、歩けなくなるよ」

スポーツ系バンカラ医師と弱虫トホホ患者のあいだでは

こんな会話が交わされたのだった。

 

ご覧の写真は術後4日目で、右足がパンパンに腫れて色も悪い。

即位パレードは観れて良かったが、TVカードがすぐなくなった。

食事はヘルシーで美味しく、いつも完食で看護師さんに褒められた。

 

怪我のせいで、いろいろな予定が狂ってしまった。

大阪で11月上旬開催の「西城秀樹メモリアル展」を

楽しみにしていたのに行けなかった。

予約済みのバレエ公演2本はチケットを友人にあげてしまった。

16回クラスを3月まで一括払いしてあるAngel R

レッスンも5カ月分無駄になってしまう。

12月3日は母の一周忌だったのに、

妹たちとの法事・会食は欠席せざるを得なかった。

 

でも、踊れないからといって落ち込んではいない。

実は、仕事に集中できないからバレエはもうやめようかな、

どういうタイミングでやめるのがベストかな──

ここ一年、そんなこと考えながらレッスンをしていた。

そんな優柔不断だからアキレス腱が切れたのかもしれない。

しかしどうせなら、こんな怪我という外的要因ではなく、

端役でもいいから全幕作品に出演させてもらい、

“引退公演”をしてから自分の意志でカッコ良くやめたかった。

 

完治6カ月といわれているが、それは普通に歩けて

軽い運動が可能になるのであって、バレエのピルエット、

ジャンプもこなして踊れるようになるには

入門クラスのバーで地道にタンジュから始め、

それで2年後ぐらいに元通りになるかならないか。

多分ポアントはもう履けないだろう。

再断裂もあり得るのだから、今後はヨガ程度にするのが無難かも。

聞いた話では、左足と右足を各二回断裂した人がいる

というから恐ろしい……。

 

今現在、まだ右足はむくんで傷口が痛痒いけど、

室内では多少引きずりながらのろのろ二足歩行している。

近所の散歩もOKで、そのときは用心のために片松葉杖だ。

年末最後の通院リハビリは帰りに地下鉄を使ってみた。

人混みが怖いけど、階段もうまくこなせた。

 

そんなあたしの2020年は、どんな展開になるのだろう。

怪我の功名、ってな感じで何かこう、

パッとステキな年にならないものだろうか。

 

 


2019.05.08 Wednesday

読書三昧&西城秀樹三昧&河本蓮大朗

 

10連休のゴールデンウィークはのんびり山の家で過ごした。

雨の日もあったけど、冬場は枯れて茶色の枝ばかりだった樹々が

緑に芽吹き、早朝に見やる向こうの山肌に雲がたなびく様は清々しい。

 

 

先月スパイラルのグループ展で購入した河本蓮大朗さんの作品を

山の家のどこに飾るかで大いに悩んだが、

落ち着いたのはわたしの寝室の窓辺だった。

照明でも自然光でも金糸の輝きが白い壁に拡散して

フレームの周りに不思議なハレーションを生む。

並んだルドンの花の絵(精巧な複製画)の青紫とも調和して

眺めているだけで心が安らぐ。見飽きない。

東京の家のバルコニーに咲く大輪のクレマチスと同じ色合いだ。

 

 

TVをよく見たが、「令和」フィーバーの大騒ぎは感心しない。

元号はいまや天皇の在位期間を表わす記号と化している。

あってもいいけれど、それは皇室関係だけで使用していただき、

国民の生活レベルでは単純に西暦だけのほうが便利だし合理的だ。

わたしはもう西暦だけで暮らしていくことにしている。

中国、北朝鮮、韓国もとっくの昔に元号を廃止していて、

世界中で日本だけですよ、和暦と西暦で頭がごちゃごちゃしてるのは。

元号で時間を区切ってリセットした気分でお祭り騒ぎしても

変わらず時間は流れているのだし、何も変っちゃいない。

時間を元号で区切って思考する日本人の精神構造は、

時間を一貫した流れとして捉える国々のそれとは、

歴史への責任の在り方が異なるのでは? と思うのだが、どうだろう。

 

休暇中、仕事もバレエもしなかったものだから、柄にもなく

天皇制や元号のことを狹学瓩靴燭里世韻譴鼻△韻辰海λ椶眛匹鵑澄

なかでも『安井かずみがいた時代』(島崎今日子著/集英社/2013年刊)

面白かった。6070年代を中心に日本歌謡界に君臨した訳詞家、作詞家の

安井かずみの実像に迫る渾身のノンフィクションだ。

 

 

安井かずみには4000にのぼる作品があり、ヒット作も数多い。

このところ西城秀樹について調べていて、彼の1973年「ちぎれた愛」

1974年「激しい恋」、1975年「この愛のときめき」も彼女の作なので、

二人の関係について何か書かれているかと思って入手したのだが、

期待外れだった。当時秀樹は1819。安井は3435。その年齢差16

デビュー後1、2年の秀樹にしてみればこの売れっ子作詞家は

高嶺の紅薔薇で、彼女自身は当時、その目で見つめられると

男でさえ孕むと謳われた沢田研二にぞっこんだったそうで、

ジュリーに多くの作品を捧げていたのだった。

 

そんなこんなで、秀樹に関する情報は見つからなかったものの、

しかしこの本は、演歌中心だった日本の音楽界が欧米の影響を受けながら

歌謡 ポップス → フォーク ロックへと

変遷していく姿を覗き見ることができて興味深かった。

 

さあ、長い連休も終わり、東京に戻ってきた。

また、仕事とバレエの毎日の始まりはじまりだ。

 

 


2019.04.03 Wednesday

4月から新たな自分になる

 

あっという間に時が過ぎた。

2月は妹たちと毎週実家に集まって相続の打ち合わせ、

3月も毎週集まり遺品の整理と形見分け作業だった。

 

遺品は昨年12月に亡くなった母のものだけではない。

ものを大切にするあまり、母は処分ができない人で、

父や、おまけに舅・姑の時代のものまで残っていた。

掛け軸、陶・磁・ガラス器、和服、軍服、サーベル、書籍、論文資料、

結婚式の引出物、俳句や日記や随筆原稿の山に家計簿の束、

夥しい数と種類の記念切手や硬貨などまで──

押し入れ、物入れ、箪笥を開けるたびに三姉妹は溜め息を吐いた。

「やだ、これ、わたしが二十歳のころのワンピース!」

「みんなの通信簿や表彰状まで、どういうつもり?」

「わたしがプレゼントしたバッグ、使わないで箱に入ったままよ」

 

毎年花をつける実家の白梅。正確に時を刻まない、忘れた頃にぼ〜ん♪と鳴る実家の捩子巻き

柱時計は長女と次女で取り合いになったが最終的に次女のものに。東芝の真空管ラジオは

修理可能で長女が頂いた。

 

「ねえ、こんなのがあるわよ」

そう言って次女が見せた写真がなんだかわからず、

裏を返すと、わたしの下手な字で、アメリカの生活は楽しい、

なんて書いてある。あっ! 脳天を打たれたかのような衝撃を覚えた。

初期にお世話になった日系人のミセスとキッチンで撮ったものや

両親宛てのクリスマスカードに添えられたご家族のファミリーフォトだ。

昔すぎて、自分の顔がにわかには認識できなかったが、

あぁ、母はこれらの写真を見て長女がもう帰ってこないのではと不安に

襲われ、あの頃から体調を崩したのだとわたしは初めて悟ったのだ。

子供が男の子ふたりで女の子がいないご夫妻は、

そのカードと写真を送った頃、当時横須賀在住だった親戚を通して

わたしを養女にしたいと連絡してきたという。

長女を養子に出すわけにはいかないと、当然両親はお断わりしたのだが、

双方でそんなやり取りがあったことを後に聞かされて、わたしは動揺し、

母の精神状態を慮り、結局独り暮らしを始めることになったのだった。

 

(上の写真)カリフォルニア州レッドウッドシティでお世話になった日系家族のミセスと。

(下・左)カレッジが留学生のために企画した市内見学で訪れた地元新聞社の玄関先で社員の人と。

(下・右)写真の裏に書いた母宛ての私信。「隣のおじさんは一緒に撮ろうと言ってきたので

撮らせてあげました。可愛い女の子には目がないらしい」なんて書いてある。

 

そんなことを思い出し考えながら、漸く実家の片付けを済ませた。

両親の書き物は読まずに処分するのは憚られるのでわたしが引き受けた。

ふたりの心の中を覗くように、ゆっくり目を通すつもりだ。

 

実家に通っているうちに梅の花が散り、桜の蕾が膨らみ花開いた。

母が亡くなってからというもの、仕事への意欲が減退している。

でも踊っていると無心になれるのでバレエレッスンは続けている。

1月に始まったAngel Rの三ヵ月パ・ド・ドゥワークショップでは

ダイアナとアクティオン」をなんとかカタチにした。

いくらなんでも4月からは本作りに戻るけど

4月スタートの「黒鳥」でもスキルアップしたい。

 

(中央の写真)週一通っているルシャトンバレエ・スタジオがある豪徳寺の駅前花壇の桜。

ライトアップによく映えている。

(周囲の写真)Angel Rの佐々木淳史先生による「ダイアナとアクティオン」のWS最終日。

 

3月のマイ・バースデーに西城秀樹さんから動く写真のカードが届いた!

秀樹さんが口元に手をやっている写真に「お誕生日」の文字が映り、

カードの角度を変えると秀樹さんがこちらに手を差し出し「おめでとう」

の文字が現れる。天国の秀樹さんに代わりァンクラブが送ってくれた。

彼の誕生日は4月13日でもうすぐだ。64歳になるはずだった。

一周忌の命日が5月16日にやってくる。

 

 

命日といえば、昔の上司で元Newsweek東京支局長の

バーナード・クリッシャーさんが3月5日に亡くなった。

活字ジャーナリストとして初めて昭和天皇との単独会見を成し遂げ、

カンボジアの貧しい子供たちが教育を受けられるようにと

さまざまなかたちで慈善家として貢献してきた人だった。(こちら→)

人は生まれ、そして死んでいく。

わたしもそのうち死ぬ。身の回りを片づけなければ。

これだけは母のようであってはならない、と思うのだ。

断捨離、断捨離。

 

 


2019.02.18 Monday

銭湯帰りに聴く西城秀樹の「漂流者たち」

 

自分のことだけを考えて毎日を過ごしている。

母が亡くなり、心配のたねが無くなり、そんな状態に慣れてきた。

本を読み、調べ物をし、考え事をし、西城秀樹さんの歌を聴き、

母と過ごした頃の思い出に浸り、バレエとピラティスで体を動かす。

心配事がないので物事に集中もできる。

 

いや、心配事はある──

朝鮮半島、日韓・日朝関係、辺野古基地問題はどうなるのだろう、

なぜ幼い子供たちが実の親たちに殺され虐待されるのだろう。

こういうニュースには気持ちが沈んでしまう。

でも自分の力や意志だけでは片付けられないことなので、

とりあえずは自分のことに専念する。

 

このところ、レッスン帰りに南青山三丁目の「清水湯」に通っている。

以前のブログでも書いたが、100年も続いている銭湯なのだ。

ジャグジーや高濃度炭酸泉やシルク湯につかり、

知っている人はいないので誰と話す必要もなく、

湯煙のむこうにうごめく人体を見るともなくぼんやり眺めている。

 

で、湯上りにロビーのテーブルについて

KIRINの「ハードシードル」を呑む。これがたまらない幸せ。

りんご果汁の炭酸飲料でアルコール分4.5%なのだが、

軽いシャンパンみたいですごく美味しい。

ここで食べるチョコとバニラのソフトクリームも好きだが

シードルのほうがカロリー低いので爛瀬鵐機辞瓩砲呂笋辰僂蠅海舛蕁

 

 

10分ほどして外に出るころには気持ちよいほろ酔いで

いまはまっている西城秀樹の「漂流者たち」(こちら→)

を聴きながら帰途につくことにしている。

1982年、本人も出演していた日本テレビの連続ドラマ

「ホーム・スィート・ホーム」の主題歌で

それまでに歌ってきた作品とは雰囲気が異なるが、

歌詞と歌唱法がなぜかいまのわたしの琴線に触れる。

親に反対されながら16歳で広島から上京してきた当時の自分自身と

歌詞の内容がダブり、コンサートや音楽番組で歌うとき、

彼は涙を浮かべていることがあったといういわくつきの歌だ。

作詞・作曲は藤圭子の「新宿の女」の石坂まさを。

歌の世界に入り過ぎたと言われている動画もある(こちら→)

 

話しは変るが、今週の金曜は福生のライブハウスに行く。

横田基地があり、犖造蠅覆アメリカに近い瓩△諒\源圓澄

どれほどアメリカンなのか、昔から関心があったが

友人から知り合いのミュージシャンが出演するから行かない?

と誘われたので出かけることにした。

 

それでガイドブックでにわか勉強をし、

村上龍の『限りなく透明に近いブルー』も読み直している。

若いときにはドラッグとセックスのことがぴんとこなかったが、

いま読むとこれはすごい文芸作品なのだと衝撃を受けている。

バロウズの『ジャンキー』に比べれば爐子様ランチ瓩世、

写真・映画みたいで映像的な龍さんの文体はやっぱり

芥川賞のベストセラーだけのことはある。

 

 

基地フェンス沿いのルート16にはカフェやレストランもずらり。

一気に太ってしまうかもしれないが、すごく楽しみなトリップだ。

わたし、変れるかな?

 

 


2019.01.03 Thursday

母のない子になったから

 

70年代にロックの女王と呼ばれ、一世を風靡したシンガーに

カルメン・マキという人がいる。わたしはマキさんのデビュー曲で、

大ヒットした「時には母のない子のように」が大好きだ。

Rock Side & アングラSide〜」http://carmenmaki.com/

その昔、同じことの繰り返しの単調な毎日に嫌気がさし、

日本にいるのも嫌になり、アメリカに行こうと密かに計画をたて、

学生ビザも取ってから、留学します、と両親に告げた。

そしたら亡き母が「親を捨てて行くのか?」と泣いたので、

なに、それ、大袈裟な、我が子がひとり立ちしようというのだから、

喜んで送り出すべきでしょうが、とあきれ果て、

その週末はふてくされて友人の館山の家に泊まりに行き、

夜の浜辺に坐ってマキさん気取ってひとり海を眺めながら

時には母のない子のように」を口ずさんだのだった(こちら→)。

 

なにかっこつけてたんだろう、といまでは笑ってしまうけど、

まあ、わたしはそういう親泣かせの娘だったし、

寺山修司の詞が当時の自分の気持ちをあらわしていて、

まとわりつくみたいな母の思いから早く自由になりたかった。

だから母を振り切ってアメリカに飛び出した。

長女だし、最初の子供だし、頼られていたのに──そしていま、

現実に母のない子になったわたしは、山の家でボーッとしてる。

ひとりになるとあの時の母の思いを静かに噛みしめる。

 

山の家のベランダから樹々の向こうの山肌のスキースロープを臨む

 

でも、四六時中そんな感傷に浸っているわけじゃない。

30日の「輝く!日本レコード大賞」は目的意識をもって見ていた。

昨年5月に63歳で亡くなった西城秀樹さんに特別功労賞が贈られるので、

信奉者としては、どんな放送のされかたをするのかが気になったのだ。

西城さんはこれまでに金賞と歌唱賞合わせて9回受賞しているが、

74年に歌唱賞を受賞した「傷だらけのローラ」、

78年金賞の「ブルースカイブルー」、83年金賞の「ギャランドゥ」が

動画メドレーで映し出され、とりあえず納得がいくものだった(こちら→)。

 

背が高く、四肢が長く、動いても静止しても絵になる本物のスター。

人の愛、喜び、哀しみを唄うために生まれてきた天才で、努力家で、

どんなジャンルも独自の感情移入で歌い、カバー曲の英語も流暢で、

脳梗塞と糖尿病がなければ、歌にも人間的にもこれからさらに、

いぶし銀のような魅力が増していくはずだった秀樹さん。

4歳上のマキさんは健在でまだライブで歌い続けているというのに……。

そしてわたしはマキさんの唄を聴きながらそっと涙ぐみ、

「お母さん、あの時はごめんね」なんてつぶやいたりできるのに……。

でも不思議だ。西城さんの歌を聴いていると悲しみが癒される。

CDDVDYouTubeのなかにいる彼が、わたしの救世主になっている。

Live

西城さんの闘病については未亡人の木本美紀さんによる著書

『蒼い空へ 夫・西城秀樹との18(小学館刊)に詳しい。

上は実家の近くにある小平キリスト教会。

青空に映えていたので思わずシャッターを押した。

 

 

 



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